保険代理店ミワエンタープライズ

スタッフ

はじめまして兄の正彦です。

三輪正彦

はじめに

今、この文章をおしゃれなカフェで書いている私ですが(笑)、田舎者です。出身は筑北村(現坂井村)です。
私は長男ですので実家を継がなくてはならないのですが、この仕事で一生頑張る事、3人の子供達の事を考えると やはり、
ほどよ~い田舎の松本市がいいのではないかと思い、親には悪いのですが、自宅を中古ですが・・構えました。
皆さん、田舎暮らしがうらやましいなどと言いますが、実際住んでみたらいい事ばかりではありません。
田舎の朝はとても早く、5:00くらいからそれぞれの家庭から、耕運機がダダダダッと発進しはじめます。
そして、草刈機のビーンという甲高い音。皆、犬は外飼いなので近所中、たくましい犬の鳴き声ですごいです。
空気がいい!と言いますが、窓を開けるとキツイ堆肥の臭いが・・(笑)。
・・・とても遅くまで寝ていられません。
このコンボを体験する度に、嗚呼坂井(筑北)に帰ってきたんだな~と思います(笑)。

・・・でもいい所です・・苦しい(笑)。
住んでいる友人も本当にいい奴ばかりなんで、本当にいい所なんですが。
そんな田舎ですが、20代前半の頃は、いつかは実家に帰るんだろうな・・と漠然と考えておりました。

コンビニまで往復8KM、自販機まで歩いて20分・・。もちろん吉野家やマックなんてありません。
人口は減り続け、(今、中学校は全校50人くらい、それでも僕らの頃は300人以上いました)
お年寄りばかりのこの村の未来はどうなってしまうんでしょうか・・

家族

起死回生の場外馬券場

平成5年くらいの時、筑北に『JRA中央競馬の場外馬券場招致計画』がある事を新聞で知りました。 長野県には競馬のできる環境はありません。山梨の石和までわざわざ買いに行くか、 ごく一部の人が電話で投票するしかなかったのです。 空前の競馬ブームというのもありました。
・・・・それに中央競馬というのが凄い。(地方と中央では雲泥の差がある)

・・いやそんな事よりも、これは千載一遇・起死回生のチャンスだ!

当時、石和競馬場で年間200万人の入場者がありました。長野県の人口は山梨よりも多いので、 もしかしたら、もっと多くなったのかもしれません。 この人達の落とすお金の経済効果は、それはそれは莫大なものです。
飲食店・ガソリンスタンド・コンビニ・銀行・スーパー・・・などが建つでしょう。
そこで雇用が生まれ、税金が安くなり、 便利になるので人口も増加する!!

僕は興奮しました。ついにこの村も生まれ変わるのだと!

・・・しかし村民の態度は、冷めたものでした・・。
こんな凄い事が起こるかもしれないのに、賛成を唱える人が全く出てこないのです。
焦りました・・。このまま立ち消えになってしまうのではないかと・・。
僕は村長宛てに、是非招致を!と原稿用紙20枚くらい書き綴って送ったのです。 そうすると、その文章をきれいに作成したチラシが全村民に配られました。こんなことを考えている人がいるのだと。
すると賛同する人が出てきました。感動したと言ってくれた人もいました。
ですが、まだ圧倒的に負に対する意見ばかりでした。
『村のイメージが』 『治安が悪くなる』 『子供達が不良になる』(笑)
お前の息子は頭がおかしいのか!と実家にも電話がかかってくるようになりました・・。

信濃毎日新聞の2面にデカデカと、その文章に対する中傷するような記事も出ました。
取材の電話もありましたが、僕の事を反社だと思っていたようです(笑)。

何故か村民ではない外部から、誘致を反対する会が立ち上がりました。
・・・・そして、村をあげて大反対運動が起こり、ついに立ち消えとなりました・・・・(泣)
子供が不良になるにもその子供がいなくなる、 治安が悪くなるにもそこに住む人がいなくなるのに
場外馬券場がそんな悪いものなら、ほぼ全ての県にあるのは何故なんでしょう?
未来の事を考えている人はいないのか?
・・・・それでも、大多数の人が廃止を望んでいるのですから仕方ありません・・。
この一件で僕は大きく、本当に大きく失望しましたし、人生の考え方も大きく変わった気がします。

・・・そして現在、限界集落となりました。
・・・でも好きですよ筑北村・・苦しい(笑)。
夏は蛍が飛んで、いつも涼しい風が吹き、水道もすごく冷たくて美味く、それで冷やした冷麦は美味い・・最高です・・。

松本市と友人

僕は松本市が大好きです。本当に大好きです。外に住んでいたので、余計いいところが分かります。
小さいころ、お袋と篠ノ井線各駅停車で松本市に来ることは、僕ら兄弟にとって一大イベントでした。
それも、前の日に突然言い渡されます。『明日松本いくよ』『・・・やったーーーー!!』
僕らは飛び上がって喜びます(笑)。 明日は『宇宙堂』でプラモを買おう。
『はやしべ』の屋上でゲームをやって・・展望レストランでお子様ランチ、クリームソーダ・・・。
今思えばこんなに小さな田舎町ですが、小さな頃の僕らにとっては、夢の町でした。

今、どんなに楽しい事、どんな物を手に入れてもこの頃の楽しさにはかなわないでしょう・・。

北アルプスがとてもきれいで、大好きな松本城が見えて、そこそこ物が揃えばいいんです。 本当にいい町だと思います。 そして筑北村で住むよりも、この町に住み、家を買い、一生住みたいと思えるようになりました。

さて、一生ここで暮らすには、一生涯の仕事をみつけなくてはなりません。
そのとき、セゾン生命保険の営業員さんと、知り合いました。ここで働いてみたい。
そうすれば異動も無いし、ここで根がはれる。
ネクタイにスーツで仕事ができるなんて田舎者の私には、まるでトレンディードラマの世界(古いな笑)。
仕事が終わって、同僚と酒を飲みに町に繰り出す。最高じゃないか!・・・楽観的でした。
なんとかなるだろうと考えていました。しかし、この世界は甘くありません。
入社したものの1件も契約が取れません・・。いきなり数字が0ゼロでは・・・困ったなー・・・。

どうしようもなく困った僕は、親友のミツオに電話してみました・・。(何て言うかな・・・嫌がられるだろうな・・)
『保険はじめた?ああいいよ。お前から入るわ。』・・・即答でした。
この仕事を続けられるかまだ分からないのにな・・。
友人というだけで加入してくれるなんてな・・。
平静な顔をしていましたが、僕は本当に感動しました。

ミツオは僕の第1号契約となりました。
本当に困った時に助けてくれるのが親友です。
僕はあいつが困った時には絶対に助けようと誓いました。ですから、あいつが困った時には何があってもかけつけます。
今、ミツオは千曲市と松本市でカレーハウスココ一番館を2店舗経営しています。努力家で本当にいい奴です。

こいつ親友かな?と思ったときに、『保険を始めたんだけど、本当に困っているんだ。 頼むから保険に入ってくれ』と嘘を言ってみてください(笑)。 その反応、態度、言動であなたの親友かわかりますよ(笑)。
・・・私はそれから友人などに募集することは怖くて一切していません(笑)。

給料が10万円・・・

ですが、僕の給料は2年目に手取り10万円しかなくなりました。 既に結婚もしていましたし、7万3千円の家賃(笑)・生活費・・そして妊娠・・。 10万円では生活できない為、当時まだそんなに出回っていなかった、 携帯電話(不人気・型落ち機種)を格安で仕入れ、1万円で売り歩いていました(笑)。

・・・・・でもこのままでは、保険を一生の仕事にすることはできません。 手元にあった在庫を投売りし、本職一本にすることにしました。 その投売りの中に、NECの折りたたみ携帯第一号機がありました。
今では折りたたみは当たり前ですが、当時は全く人気が無く、 NECのみが細々と生産していたものです(2号機は大ヒット)。 その携帯をえらく気に入ってくれた人がいました。 『いい携帯有難う!安かったしすごく気に入っているよ。』この方は先見性がありますねー(笑)。

しかし、この人が僕の人生を大きく変えます。

行動件数を3倍にしました。朝から夜遅く、土日無しで働きました。 少しずつ給料が上がってきましたが、まだまだです。 ・・・半年後の事。 もう疲れたし、営業所に帰ろうと思ったのですが、そこであと一件!と踏ん張って、あるお店に立ち寄りました。 すると、そこでその方とばったり出会いました。2人でコーヒーを飲んでいました。
『三輪さん!この方紹介してあげるよ。』 聞くと大地主で、相続対策に困っている方でした。
・・・・僕の給料は3倍くらいになりました。
それから不思議と自信が出て、余裕もある為、取れなかった契約も取れるようになり、収入も増えていきました。

それから日新火災とアリコ(現メットライフ)の代理店として独立。 家を購入し、松本市で一生涯の仕事をするという目標が達成できました。 あの時、もしあの店に立寄らずに帰っていたら・・・努力は実る事を実感した瞬間です。

保険を募集する仕事とは

保険を募集する仕事と言いますと、嫌な仕事だね。と言う人もいます。
僕はいわゆる昔の『保険のおばちゃん』という方に、この仕事をするまで遭遇することなく、 『あまり好かれていない仕事』という認識がありませんでした。 むしろセゾン生命は、コンサルティング能力に優れたプロ意識の高い人が多かった為、 社員は皆素晴らしい方ばかりでしたし、保険は絶対に必要なものですし、使命感の方が大きかった気がします。 『保険は必要だが、しつこく無理やり加入せざるを得なくなる』のが皆嫌いなだけで、この逆をやればいいのだと常に思っておりました。

通販で保険を

『最近、通販系が多いから大変でしょう?』も本当に良く言われるのですが、 『全く脅威ではないですよ』と言っても、皆さん本当かなー?というリアクションをされます。 うちは約800人(令和元年現在)のお客様がいらっしゃいますが、うちから通販に行かれる方は年に1件ぐらいです。

私も通販でよく買い物をします。Amazon、楽天、価格.com・・・本当に安くて速くてとても便利です。
例えば欲しい一眼カメラがあったとしましょう。電器屋さんで値段を見て、ネットで値段を調べて、 なるべく安いところで購入しますよね。そしてカメラが手に入った時点で目的は達成するのですが・・・保険は違います

保険は加入してからが目的です

例えば『保険は請求しないと、保険会社は保険金を払わない』のはご存知でしょうか。
夫婦が不慮の事故で亡くなったとします。
本来受け取るべき子供さんは、どうやって保険金を受け取るのでしょうか。子供さんがどの保険に入っているか調べる?
他の身内が?・・・今まで神戸地震など数々の大震災がありましたが、お亡くなりになったにもかかわらず、保険金請求されていない契約はかなりの数というのは本当です。

自動車保険をネットで加入しようとします。難しい文言、約款を読んだ事にして、最後のクリック。
全ての内容を了承し契約をいたします
これはお客様自身が責任を負うという事です。契約内容を確認したので全ての責任を自分が負います、という事です。

我々保険代理店は、その責任をお客様の代わりに負い、契約までしていきます。もしまかり間違って、 代理店の責任で保険金が支払えなかった場合、代理店が支払義務を負う場合もあります。 (その為にミワエンタープライズは代理店の保険に加入しています)
通販で加入して、うっかり更新をしていなかった、車を変えていなかった、年齢条件など・・もしお客様がミスをしたらそれは自己責任。 大きな事故をして支払ってもらえず困ったというケースもよくあります。突然飛び出してきた人を轢いてしまった時、 血だらけで動かない人が目の前にいるとき、本当に自分は大丈夫な契約なのか・・心配ではありませんか?

好きな本

今大人気の坂本竜馬ですが、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』を書くまでは、 坂本竜馬は日本ではいわゆるマイナーな人でした・・。 どうしてこんなに人気があるのでしょうか?

竜馬がいなかったら、日本はフランスやイギリスの植民地になっていたかもしれません。当然今の繁栄した日本はありません。 それは当時犬猿の仲だった『薩摩と長州を同盟させた』こと、そして幕府に白旗をあげさせ、国内戦争を回避したことなのです。 国内で幕府・薩摩・長州の大戦争がもしあったなら、外国勢につけこまれ、植民地になっていたかもしれません。 要はそんなでかい事を、名も無い、身分も低い武士がやりとげてしまった事にあるのです。 彼はそんな身分・階級を超えた、何か人を惹きつける強烈なパワーを持っていたんでしょう。

『竜馬がゆく』が大ヒットした後、色々なものが出ています。マンガになったり何度もドラマになりました。 しかし、全部『うすっぺらい!!』 の一言につきます。まあ、『竜馬がゆく』も相当着色されているようですが、 竜馬の発する言葉、行動は当時21歳の僕の心を熱くさせました。 福山雅治扮する竜馬が、どう叫んでも全く心に響かないのは何故なんでしょう(笑)? いや彼が悪いのではないんです。あの役は誰にもできないんですから。 ・・・・福山雅治?僕は好きですよ。『桜坂』のCD買いましたし・・(笑)。

好きな映画

ショーシャンクの空に』です。見ていない人は、学校会社休んでもすぐ見てください(笑)。そのくらいの価値はあります。 この映画と同時期に『セブン』(これも面白いが)を撮影していたブラッドピットが、 『ショーシャンク』の台本を見て、何の役でもいい!チョイ役でもいいから出してくれ! と言ったが、 『セブン』が忙しすぎて出演できなかった・・というくらいストーリーがよくできています。 ・・・・・・でもモーガンフリーマンは両方出てんじゃねーかよ!というつっこみはやめてください(笑)。

バックトゥザフューチャーも100回くらい見てると思いますが、 part3でドクの『未来はまだ白紙ということだ。未来は自分で切り開くもんだよ』 という言葉は、いいですね。

『グラン・トリノ』『ゴッドファーザー』『パルプフィクション』『マッドマックス4』『アイアンマン』も何度もリピートしています。

アニメは『トトロ』これも泣ける(笑)、『サマーウオーズ』は、おばあちゃんが妾の子、 侘助の手を引いて夏の道を歩くシーン、『カリオストロの城』の次元が言う、おめえのヤッパと俺の対戦車ライフルで・・のシーン。Goodです。

『男はつらいよ』は40代になってから、たまらなく好きになりまして・・寅さんの発する何気ない言葉が、 心に突き刺さるようになりました。おっさんになったという事でしょうね(笑)泣いたり笑ったり・・たまりません。

さくら(倍賞千恵子)の子、満男(吉岡秀隆)が寅さんを柴又駅まで送っていくシーンなのですが、
満男『ねえおじさん、人間って何の為に生きてるのかな・・』 人生に悩む満男が聞きます。
寅次郎『何の為って・・お前、難しいこと聞くな・・・・・・』
  『そうだな・・生きてると、ああ・・生まれてきてよかったなー・・っていう事が何べんかあるじゃない。
その為に生きてるんじゃないのか?そのうちお前にもそんな時が来るよ、まあ頑張れ!』と肩をたたき去っていきます。
  このよさわかりますかね(笑)?40代になるとじんわりきますよ(笑)。

男はつらいよサミットというのが松本であったのですが、何故か参加してきました(笑)。 主題歌を皆で歌いましょう!という事で皆で『おーれがいたんじゃ・・♪』と歌い始めたのですが、 途中で涙が出て歌えなくなるんですよね・・寅さんの想いがたまらなくなり、涙が・・どうしてもこの曲は最後まで歌えません・・(笑)
山田洋次は一番尊敬する監督です。『たそがれ清兵衛』も何度も見ましたし。上田のロケ現場もみてきました。

好きな店

中学生のとき、友人と井上百貨店の横にあった『テンホウ』にはじめて入りました。
そこでテンホウ名物『タンタン麺』と出会います。僕は『神が作った食い物か!』(笑) とひっくりかえりそうになりました。 美味い!そして安い!380円くらいだった・・。当時時給500円の時代、マクドナルドでまだセットメニューが無く、 コーラとポテト、ハンバーガーを頼むと800円くらいになったので、(今の価格で言ったら1,200円くらいしていたということですね。 めったに入れませんでした(笑)) コストパフォーマンスは凄いものです。 僕はすっかりファンになり、当時ゲームセンターUFOに行って、テンホウで昼飯はパーフェクトな1日でした(笑)。 それからこんなおっさんになっても、いまだに『タンタン麺』を頼み、その度裏切られないのは何故でしょうか(笑)?

ですが、県外の人に松本で美味いラーメン屋ある?と聞かれてテンホウとは言いません。 『大石屋』『きまはち』『りょうが』と言います。テンホウは激ウマ!ではなく毎日食べられる飽きない美味さで、そして安い。 というところがファンをひきつけるのでしょうね。

70点のラーメンを、安い値段で出し続けるラーメン屋さんも必要なんです。僕たちは究極の70点と言っています(笑)

ある日、上品そうなおばさんが、『こんなもの坦々麺じゃないわ!!』とお店の人にキレて帰っていきました。 確かに中華料理屋の坦々麺とは違いますが・・。 僕は心の中で『値段を見てみろ!480円で坦々麺が食えるか!! 値段とのバランスを考えろ!!そして、これはこれで完成しているだろ!!』と思いました。 だから坦々麺じゃなくて、タンタン麺と書いてあるだろう(笑)!坦々風ラーメンだからタンタン麺なんでしょう・・・か(笑)?
お店の方、見ていましたら、自信もってくださいね。皆声にこそ出しませんが、本当に美味いですよ。

夏は『バンバンチーメン』という、これも神の作った食い物が降臨します。冷たい麺に鳥のササミがまぶしてある、 冷やし麺なのですが、頼むときは『麺をダブル』 にしてください。大盛りだと後悔することになります(笑)。
休みの日に、これと生中を頼むと、パーフェクトな1日になります(笑)。
いくつも美味いラーメン屋ができますが、結局テンホウに戻ってきてしまうんだよなー。
僕の体の何%かは、テンホウでできているといっても過言ではないでしょう(笑)。

あとは激安蕎麦屋『小木曽製粉所』。500円でお腹いっぱい盛り蕎麦が食べられます。 蕎麦というと、美味いけど高くて少ないイメージですよね?そういった店もたまにはいいですが、 おいしい蕎麦を安い値段で毎日食べるならここ。まさに蕎麦界のテンホウと言っていいでしょう。ここも僕たちは究極の70点と呼んでいます(笑)。

尊敬する人物

孫正義』です。僕がこの仕事を一生懸命やろうと決めたとき(26歳)、孫正義の本と出会います。 彼を、携帯電話屋の社長ぐらいにしか思わないとしたら大間違いです。とんでもない偉人ということがわかります。

・世界初電子翻訳機を作り、シャープに技術を売る(後に出るシャープのポータブル翻訳機。後の電子手帳になっていく)
・パソコン雑誌、『Oh!PC』を創刊。その後のOh!シリーズもヒット。(懐かしい人も多いのでは?)
・固定電話で、安い電話会社を自動的に選んでかけるという装置を開発した。(電話にLCRがついてました)
・検索エンジンにいち早く目をつけyahoo japanを作る。(最初日本でgoogleよりyahooの方が強かったのはこの為です)
・電子株取引、Eトレードをいち早く日本で展開。(今は当たり前ですが)
・ベンチャー株の取引市場、ナスダックを立ち上げる。(現在は撤退してしまいましたが・・・・)
・ADSで3900円という破格値で当時のネット接続料金を半額にした。(NTT独占だったら日本はネット後進国になっていたでしょう)
・ダイエーホークスを買収、ソフトバンクホークスを立ち上げる。(子供の頃、王選手の大ファンだったようです)

など、思い出すだけでもこれだけあります。日本でインターネット、通信業界がここまで発展できたのは、彼のおかげなんです
坂本竜馬を愛してやまないらしいですが(竜馬がゆくを常に持ち歩いている)。いや、もう通信業界の坂本竜馬と言ってもいいんではないでしょうか(笑)。 僕が『この道で、一生生きていこう!倒れる時はその道で前向きに倒れよう!』と決意したのは、この本との出会いも大きかったと思います。

どんな子供だったのか

勉強もスポーツも秀でたものが全く無い私は、どちらかと言うと大人しく、目立たない少年でした。
こんなダメな人間が何の為に生まれてきたのか、少年時代から常に呪っていました(笑)。 でも心の底には目立ちたい!という衝動が常にありまして、勉強やスポーツで目立てない僕はどうすればいいか・・ 『そうだ!イタズラをして目立てばいいのだ』という全く間違った方向へ進み始めます(笑)。
蛙や蛇を投げる、振り回す。死んだ蠅を給食の中に入れて食べさせる。おしっこをジュースの空き缶に入れて、一口飲む?と渡す。 変なあだ名をつける。男女問わず後ろから突然ズボンをおろす・・・(最低)。
そんな事を繰り返しているうちに、女子の中で一番嫌いな男子は?という話の時に真っ先に僕の名前が(笑)。 そこでこれはいかん!と目が覚めイタズラを封印したのですが・・
先日、坂井にある『さかの上』という、うどん屋に行ったのですが、そこの5つぐらい上の店主に 『ガキの頃、お前に蛇を投げられた事がある!とんでもない奴だった(笑)
と身に覚えの無い事を言われました(笑)。・・・人はやられた事は覚えているものですよね・・。
『さかの上』のうどん美味いですよ!と書いて誤魔化し、終わりにいたします(笑)。

近藤真彦マサヒコって知っています?

小学校5年生ぐらいの時にジャニーズの『たのきん』ブームがやってきます(知らない方はググってください(笑)。 その中にマッチ(近藤真彦マサヒコ)という人気のアイドルがいまして、人気はそれはもう凄いもので、 当時どのクラスでもトシちゃん派(田原俊彦)かマッチ派で派閥抗争(笑)があったものです。 それなのに私は同じ名前のマサヒコ・・これは生きていくのが大変でした・・。放送室の掃除の時、6年生のT鶴先輩(美人)と同級生のA美と3人で掃除をしていると

T鶴先輩 『この子名前マサヒコって言うんだよね?』
A美 『そうなんだよ・・同じなんだよ・・(笑)』
T鶴先輩 『えーーっ全然違うじゃーーん(笑)!』。

私は何も言えず赤くなる・・(笑)。

中学に入学したばかりの時に、隣のクラスから女子が大勢来て、廊下から教室を覗き僕を見ています。そこは純朴な少年、顔が赤くなる寸前・・そこで聞こえてきた言葉
『あいつマサヒコなんだって・・(笑)』
『全然違う』『気持ち悪い(笑)』
的な事を散々言って引きあげていきました。何も言い返せず落ち込むだけ・・。
今考えれば、言っている奴らの顔だってどんなレベルなんだか!と思っても子供の頃の話し。同級会でこの話しをしても、誰一人覚えていない・・(笑)。
・・・でもマッチの歌、好きなんだよな・・ラジカセに録ってこっそり歌ってました・・(笑)。

うんこ?まみれ白ブリーフ事件

夏休み、小学校のプールに泳ぎに行きましたよね?プールカードというのがあって、行けば判子押してくれて。
近所の先輩6年生と下級生らで待ちあわせ時間を決めて、カンカン照りの暑い中、歩いてプールへ向かいます。
脱衣場は女子、男子は廊下(扉の無い碁盤のようなロッカーがある)で着替えます。
・・散々泳いで帰ってきて、さっきはいてきた白のブリーフは・・あれ?無い!僕のパンツが無い・・。
しかし2メートル先に、壮絶うんこまみれのパンツが落ちています・・(笑)。
大勢の男子がそれを見て『おえーっ』とか『誰だーーっ?』と大騒ぎ。
誰かがうんこを漏らし、困って僕のパンツを盗り、はいて帰っていったのでしょう・・(泣)。

さてここで皆さんならどうします?
①正直に盗られたと言う
②半ズボンだけを履いて知らぬ顔をしてノーパンで帰る
この大勢の中で①を言ったところで、当時の小学生、誰が信じますか(笑)?
しばらく『うんこ漏らし』と呼ばれる事は間違いありません・・(笑)。僕はそそくさと②を選択、半ズボンをさっとはいて帰りましたが・・・(^^;

上級生の豆腐屋の息子が、パンツをはかなかった所を見ていたんですね・・。

大勢の帰り道、何故か先程のパンツの話を豆腐屋の息子兄弟が言い出します。あれは誰のパンツなのか?と・・。
豆腐屋の息子『一人ずつ、パンツを見せて証明しようぜ』
まずい・・。1人ずつ、半ズボンの裾から白ブリーフを見せます。さて僕の番・・見せるのが嫌だと何度も言いますが、 ちょっと見せるだけでいいから・・としつこくせまられます。下級生、弟にもその情けない姿を見せながら、やっと解放され帰る事ができました。
ですがその兄弟は弟にも『履いてるのかちゃんと家で見ておいてな』と冷徹に言いました。
その後も、皆で絶対あいつのパンツだよなーっ!と言いながら帰ったに違いありません・・。

今考えると、小学生らしいエピソードだと思いませんか(笑)?
おしっこ、うんちを漏らしたり、おならが出てしまっただけで、A級戦犯扱いの時代・・(笑)
こんな理不尽な思い出って、皆ありますよね?

ちなみにその息子さんたちは皆優秀で、3人兄弟皆生徒会長になり、進学校に進学、有名大学を出て社会で大活躍されています。 まさに神童兄弟でした。まさに陰と陽、月と月見草。
『あの兄弟は豆腐を食っているから頭良いのだ』という仮説をたて、そこの豆腐を大量に食ったものです(笑)。
馬鹿ですねー(笑)。
その豆腐屋、今は無いので残念ですが・・・昔の豆腐は美味かったな・・。

若い人へ。頑張って生きるか頑張って死ぬか

失敗した人間がどうやって生きていくのか。学歴レースで敗れた人間が社会でどう生きていくのか。
憧れていた夢、漠然と将来はこうなるだろうと思っていた人。しかし現実の壁は高く厳しく挫折する。僕も何度も悩みましたし、こう悩んでいる人も大勢いるのではないでしょうか。

しかし何度考えても、結局結論は『受け入れるしかない』・・・・。

自分のおかれた状況才能は変えようのない現実、自分で変えられない現実は、悩んでも恨んでも仕方ありません。
家が貧乏、ルックスが悪い、勉強できない。球を速く投げられない、走っても遅い、面白い会話ができないなど・・
でもなんとか頑張って学生時代を乗り切ってください。才能のある人に学生時代という短期間では、 なかなか勝てないのですから無理をしなくていい。そんなしょうもない事で人生を諦めてはいけない

人生を車のレースで例えると、生まれつき優秀な子供は性能の高いマシンを与えられたという事。 エンジンも甲高い良い音がします。学生時代は予選。いいマシンに恵まれた人は凄いタイムを出す。 当然決勝レースはポールポジションで皆の羨望の眼差しを受ける。そしてレースクイーンからもモテモテ(笑)。 TVカメラも追います。我々性能が悪いマシンははるか後方からスタートすることになり、地味なマシンに誰も関心を持ちません。 そしてレーススタート。遅いマシンはいきなりトップチームにどんどん離されていきます。トップグループは果てしない彼方へ。

しかし人生はここからどうするかで決まるということ。

どうせダメだと不貞腐れて、ピットインしてレースをやめるか、ポンコツマシンでもアクセルを床まで踏み続けるか。
周回遅れになっても、ひたすら走れば何かあるかもしれません。速いマシンも雨が降ったり、事故に巻き込まれたりして苦しむはず。 踏み続ければ・・チャンスはくるかもしれません。いいマシンに乗っているのに、満足できないと途中でレースをやめる人、 良いエンジンなのにリスクをとらず、アクセルを床まで踏まない人。優秀な人ほど陥りやすいのかもしれません。 でも中にはいいマシンでガンガン走る奴もいて・・こういった人にはどう間違っても勝てませんが・・・(笑) しかしレース終盤、踏み続けて気づけば入賞も見えている位置に!え?優勝じゃないの?と言いますが、いいのですそれで。 3位の表彰台に立てればいいのです。本当に凄い人にはよほどの奇跡を望まないと勝てないのですから。 このマシンで3位を取った自分を褒めてあげましょう。『このポンコツで3位を取ったのだ』と。

僕のお客さんで大家族なのに、家にほとんどお金を入れてくれないお父さんがいるご家庭がありました。
(今は離婚して幸せ)子供さん達は自分で変えようのない、どうしようもない現実に悩んでいたと思います。 長女さんはせっかく入学した良い高校も中退して働きはじめました。どうしてこんな人生を歩ませるのか・・とても悩んだに違いありません。
ですが長女さんは仕事場で愛情深い男性と知り合い、結婚してとても幸せになっています。 沢山ご主人に甘えているそうで・・(笑)不足していた幸せと愛情を取り戻したと言っていました。
子供の間は背負う責任というのは何も無いですが、自分の力では変えようの無い現実と向き合うつらい残酷な期間でもあります。
自分の不遇ばかり恨まず、なんとか乗り切ってほしい。子供の頃はたかがレースのスタート位置を決める予選。人生の結果ではないのです。諦めないでもらいたい。

・・・さて、幸せな人生とは、裕福な家庭から生まれるのか・・才能のある人だから幸せになれるのか。
それは『現実を受け入れ、投げ出さず、無理をせず、ただアクセルを踏み続ける事』で得られるものではないでしょうか。

お客様

お話